あの日あの時あの人はVol.8 (2016年)
稲校剣道部 22期 新谷 逸男様
中学から剣道部に入っていたこともあり、高校に入学してからも剣道部にいれていただいた。三人兄弟の三男坊で、兄二人とも剣道部に所属していた。当時は、男性部員だけであった私が、三年生になる直前から女性の部員も勧誘を開始し、すぐに女子剣道部も堂々と大会に出場して活躍をしていた。 剣道部は、われわれの先輩たちも数年前から、県内で活躍していた。指導は、由布先生を中心とした先生方に、外部から師範として吉村先生にお願いしていた。
吉村先生は、国士舘大学をでておられる剣道の専門家であった。 三年の時には、インターハイ予選の筑豊大会では団体優勝をした。そして、県大会でも順調に立ち上がり決勝戦に進出し、小倉南高校と合いまみえ大将戦の末、本数負けで敗退しインターハイ出場を逃した。大将は私であり、大将戦まで持ってきてくれた仲間には、今でも申し訳ない気持ちで反省をしている。
王龍旗大会での屈辱を帰していたが、四回戦で敗退した。この年は、柔道部もいろんな大会で活躍しており、金鷹旗のシード校になっており、柔道部と剣道部がともにシード校になった。 剣道を続けたいと考えて、警察官を志願するかどうか迷ったが、武道に関係ない国税職員になた。東京で、国税職員として務める傍ら、職場の剣道部や住まいの近くの剣道教室で稽古を続けている。高校時代の、厳しい稽古のお陰で、幸いにも乗り越えられえたように思える。指導していただいた、先生や先輩・同僚には感謝している。国税職員としていろんな土地で勤務することになったが、関係する官庁や地元のかたがたに「趣味は」と訊かれて、「剣道です」と答えると、悪い印象でなく、良い印象を持たれるほうが多かったように思えた。
芸は身を助けるではないが、剣道を続けていたことに感謝しながら、今日も汗を流している