あの日あの時あの人はVol.5 (2013年)

『校歌に思う』

7期生 小林 功

私達7期生は校歌のない稲築高校3年間を送りました。1955年から7年までのことで56年前になります。地方新聞で嘉飯山地区の各高校を紹介した記事に「校歌のないのも特徴」と書かれましたが、福岡県郡部唯一の普通制県立高校で文武両道を追求する高校として、学校の様子をもう少し詳細に紹介して欲しかったことを昨日のように記憶しています。
進学は先輩方や在校生の頑張りで国立大や有名私立大へ多勢合格し、部活動ではソフトボール部、バレーボール部が全国大会出場、優勝は逃したものの華々しい成績を収めていました。
また、軟式野球部は県大会では優勝し、柔道部も西日本大会に出場したりして、文字通り文武両道でした。
それなのに校歌を歌えないのは淋しく、悔しい想いがありました。が、校歌は7期生の卒業とすれ違いに誕生して、1958年4月の学校行事から正式に使われています。
作詞は当時の国語科の先生方が担当された由。1行1行に推敲を重ねたうえ、文学博士の倉野憲司先生のご指導を仰ぎながら学校を挙げて心血を注がれた結果、素晴らしい歌詞が出来、また作曲は九州を代表する音楽の教育指導者で、数多く校歌の作曲もされた森脇憲三先生に委嘱されました。お二人とも九州の方で筑豊の風土をよくご存知だからこそ、あの名曲が生まれたのではないか・・・と思っています。
毎年開かれる「稲耕会東京支部総会」で校歌を歌っているのですが、残念ながら校歌のなかった私達や先輩方の世代はなかなか諳んじて歌えずに途中でどうしても印刷物に目が行ってしまいます。
それでも、高らかに、そして誇らかに、声の限りを尽くして青春の譜を歌い続けたいと想っています。