あの日あの時あの人はVol.15 (2021年)
31期 永野 龍子 様
私の実家は、元の稲高正門から歩いて30秒(今は引っ越して5分)のところにありました。始業の本鐘とともに家を出ると職員室から出て来る先生と一緒になって「遅い」と怒られたり、登下校時は徒歩や自転車の生徒で家の前はミニラッシュ。私の部屋の窓からテニス部の練習が見えてまして素振りをする姿と「ファーイトォーーー」という声が今も目や耳に残っています。
30歳の年に転勤で福岡を離れ、学校は稲築志耕館となり今の場所に移転、帰省しても前のように高校生を頻繁に見かけることはなくなりました。跡地は体育館だけがポツンと残され、雑草の生えた空き地に「稲築高校跡地」という石碑だけが立つ(青春時代を過ごした身としては)何とも寂しく、石川啄木の俳句でも似合いそうな哀愁を感じたものです。
それが2020年3月に嘉麻市の新庁舎が建ち、市制の中心地として人々の往来が激しくなったと聞きます。
(聞きます)と他人事なのは2020年の正月以来、新型コロナのおかげで稲築へ帰省できていないからなのです。涙)
残念ながら、部活で汗を流し体育の授業やクラスマッチなど想い出がいっぱい詰まった体育館は壊されてしまいましたが、雑草が茂る広い空き地にポツンと廃墟のように建っているよりも、たくさんの人が行きかう場に生まれ変わって喜んでいるように思います。
間もなく母校も100周年を迎えます。昭和の時代から平成・令和と、学校名が変わり、校舎が変わり、制服が変わり、場所が変わり、もちろん生徒も先生も数万人の人々が培ってきた100年の歴史です。昔を懐かしむとともに、未来の進化をわくわくしながら待ち受けたいです。