あの日あの時あの人はVol.13 (2019年)
36期 松田 千穂 様
『 45歳の再会 』
数年前の当番期本部同窓会
卒業以来会っていなかった同級生達と何十年かぶりに再会し、同窓会が始まる。
地元で当日まで色々準備してきてくれた皆が手際よく指示をくれたので、前日と当日のオープン前で全体を掴むことができた。
総会を経て懇親会は大盛況で、あっという間に時間は過ぎて程なく終わり、そのあとは、お世話になった先生方との同期会。何十年も会ってなかったのに同窓会が終わった後は、みんな打ち解けて、なんとも言えない感情で覆われた時間が過ぎていき、気付けばみんな高校生に戻ったかのように振る舞って笑顔が涌き出ていました。
突然隣のテーブルから、当時大変可愛がって頂いた中村先生が私と親友を大声で呼ばれたので、ニコニコしながら先生のテーブルに座ると、ビールを差し出され「お前たちが一番心配やった、良かったまともになって」と言われ、これまで高校時代は全否定に近い思い出の私は、嬉しくて、注がれたビールを一気に飲み干した。
親友とクチャクチャになるまで泣き笑いしながら先生の私達に対する思い出話に聞き入った。
中村先生は、校内で会う度に「スカート長いぞ、切るから教官室に来い」とか「前髪が目にかかっているから、教官室に来い」と言われ、何回かはハサミで前髪を切られ思春期の心はズタズタに傷ついたのです。
この様に先輩方には、大変申し訳ありませんが私達の時代はヤンチャな生徒が沢山通う学校でした。
中村先生や他の先生方は、上手に手綱をひきながら私達を卒業させていただき、あの時私達をいつも気に掛けてくださったからこそ、今こうして楽しく過ごせてるのだと思います。
人生自分の意思で活動出来る短い時間の中で、どれだけ素晴らしい人に出会い、感銘を受け生きていくのか、人の為にどれだけの事ができるかいつも修行しながら生きています。
時々娘達の高校の先生方とお食事をしながらお話すると、先生の中には、職業先生と子供が好きで子供達の為の先生の二種類が居ることがわかります、そんな中私は本当にいい先生方に出逢えたことに感謝の気持ちで一杯です。
余談ですが、22才の娘が小一の時ヘルパンギーナで10日程学校を出席停止になり、近所のお友達が毎日連絡帳を届けてくれました。その連絡帳には、道端の草花が四、五本挟まっており、「早く治ってね」とコメントがしたためられていて、毎日違う草花とコメント。
私は娘に届いた連絡帳を見て自分を戒めました。その頃の私は、デパートで買うものが相手を喜ばせると安易に思っていたので、草花と簡単なメッセージがこんなに人を勇気付けるなんて…
すぐに担任の先生に連絡帳を通してご報告し、先生もとてもお友達の行動に感銘を受けられ全校生徒の集まる朝礼で、連絡帳のことをお話されたそうで、この時もいい先生に娘も出会えたと少しホットしました。
色んな事がこれからまだまだ起きると思います、でも人は生きてきたようにしか生きていけないのだと思うと私の人生まさに「人生万事塞翁が馬」明日は今日よりもっといい日になるよう生きていきます。