あの日あの時あの人はVol.12 (2018年)

10期 今井 邦彦 様

『故郷を想う』

私は父が稲高に転任になったのに伴い、稲築の岩崎で小学3年から高校3年まで約10年間生活しました。
岩崎小,稲東中そして稲高と変わった経歴の持ち主です。高校卒業と同時に稲築を離れましたので大して思い出があるわけではありませんが、小学生の頃、近くの小山でのターザンごっこや嘉麻川での水泳や魚釣り、稲築公園での蝉取り、そして秋には田んぼでのザリガニ取りなど自然の中で遊びまわったことです。 また高校が近かったこともあって良く遊びに行き、お兄さん・お姉さん達に構ってもらいました。夏休みには高校で福岡市の百道海岸に海水浴に行くというので連れて行ってもらったこともありました。
そういえば国鉄の漆生駅に遊びに行き、そこで機関手さんに蒸気機関車の運転を教えてもらったこともありました。あの頃は楽しかったですね。
私の高卒後は九大に入り、都市銀行に就職し、一時は福岡へのJターンを考えましたが結局横浜に居を定めました。
昭和の20年代から30年代は石炭産業が斜陽になりつつあったとはいえまだ稲築には活気があり、稲高の先輩方には優秀な方々がおられ巣立っていかれた時代でした。しかしその後は炭鉱事故などもあり徐々に町が衰退していくのは皆さんご存知の通りです。それでも鉱害復旧事業などで食べていける間は良かったのかもしれないけれどそれもなくなると、町は眠ったような状態になってしまい、ついには市町村合併で町名も無くなるという残念なことになっています。
故郷を離れてしまったものにはあれこれ言う資格はないのかもしれませんが、やはり帰りたいと思えるような元気な故郷であって欲しいです。地方創生と言われ、既に嘉麻市でもいろいろ取り組んでおられるのでしょうが、子供への教育投資と就業の場所を広げていく地道な努力などで魅力ある田舎にしてください。工業型の企業や工場誘致は難しいとしても、例えば農業では家畜の飼料用の米を休耕田で作るとか、工場倉庫のような規模の建屋で野菜や果物を生産するとか、それに太陽光発電を絡めるとか或いはシリコンバレーのようなニュービジネスの基地にする。このようなアイデアはどうでしょうか。
いずれにしても将来を見据えた施策を期待します。

今年も貧者の一灯でふるさと納税をし、故郷の明るい未来を願っています。