あの日あの時あの人はVol.15 (2022年)
福岡から就職で東京に来たのは、もう30年近く前で、飯塚市内にある実家にも私が結婚し二人の子供の親となり、日々を過ごしている中で、品川に引っ越したくらいの時の話でした。8年前に亡き妻が癌の疑いがあると病院に言われて ...
あの日あの時あの人はVol.15 (2021年)
私の実家は、元の稲高正門から歩いて30秒(今は引っ越して5分)のところにありました。始業の本鐘とともに家を出ると職員室から出て来る先生と一緒になって「遅い」と怒られたり、登下校時は徒歩や自転車の生徒で家の前はミニ ...
あの日あの時あの人はVol.14 (2020年)
高校時代の面白いエピソードと言えば、ラジオの深夜放送「オールナイトニッポン」で歌ったことだろうか。 泉谷しげるがパーソナリティーで「夜のソングコンテスト」企画があり、何となく葉書を送ったと ...
あの日あの時あの人はVol.13 (2019年)
数年前の当番期本部同窓会
卒業以来会っていなかった同級生達と何十年かぶりに再会し、同窓会が始まる。
地元で当日まで色々準備してきてくれた皆が手際よく指示をくれたので、前日と当日 ...
あの日あの時あの人はVol.12 (2018年)
私は父が稲高に転任になったのに伴い、稲築の岩崎で小学3年から高校3年まで約10年間生活しました。
岩崎小,稲東中そして稲高と変わった経歴の持ち主です。高校卒業と同時に稲築を離れましたので大し ...
あの日あの時あの人はVol.10 (2017年)
高校は通過点だとよく言われる。
入学した日から卒業まで残る日を数え続けた。
教室から見る空の様子。
下に見える四角の白ガエルが住んでいると聞いた池。
自転車置き場の ...
あの日あの時あの人はVol.8 (2016年)
中学から剣道部に入っていたこともあり、高校に入学してからも剣道部にいれていただいた。三人兄弟の三男坊で、兄二人とも剣道部に所属していた。当時は、男性部員だけであった私が、三年生になる直前から女性の部員も ...
あの日あの時あの人はVol.7 (2015年)
野原にポツンと残っている体育館に走り寄り、壁を何度も撫でました。聞こえてきます、昔のあの懐かしい音!
嘉麻川のせせらぎ、ポプラの囁き、すぐ横のテニスコートからはポンポンと軽やかな音、笑顔の満田さん達の練習です。 ...
あの日あの時あの人はVol.6 (2014年)
昨年の稲耕会東京支部同窓会は通算46回目で約90名の方々が参加されました。この同窓会には稲校近隣高校の関東地区同窓会関係者の方をお招きしていますが、嘉穂高校同窓会役員H氏へのインタビューで思いがけないお話をお聞きしました。 ...
あの日あの時あの人はVol.5 (2013年)
私達7期生は校歌のない稲築高校3年間を送りました。1955年から7年までのことで56年前になります。地方新聞で嘉飯山地区の各高校を紹介した記事に「校歌のないのも特徴」と書かれましたが、福岡県郡部唯一の普通制県立高校で文武 ...
あの日あの時あの人はVol.4 (2012年)
当時は高校へ進学するのが全生徒の1/3弱であったように記憶しています。
ごく少数の越境入学で他校へ行った人もいますが、普通科は稲築高校というのがあたり前の時代で、前学年までの四学級が五学級となり、生徒数が増えている頃でした。私 ...
あの日あの時あの人はVol.3(2011年)
7期生 昭和32年3月卒業 福留フク子
女学校から新制高校に移行した後の、追いつけ追い越せという張り詰めた空気が学校全体に満ち溢れていた時代の三年間だった。八時間の授業の日があり、定時制の人達が待ちきれず、夕闇せまる窓越し ...
あの日あの時あの人はVol.1 (2009年)
第十三代校長 田中 正行
稲耕会東京支部の皆様如何お過ごしでしょうか。
ここ九州では、九月に入っても連日の「猛暑の秋」、一日も早い秋の訪れを待ち望む昨今です。
さて「人生は