あの日あの時あの人はVol.7 (2015年)

稲築・いなつき

11期生手柴 スエ子 (旧姓 森)

野原にポツンと残っている体育館に走り寄り、壁を何度も撫でました。聞こえてきます、昔のあの懐かしい音!
嘉麻川のせせらぎ、ポプラの囁き、すぐ横のテニスコートからはポンポンと軽やかな音、笑顔の満田さん達の練習です。
その後ろがバレーコート。
ネットを張る金具の音、うさぎ跳び、ジャンプ、そしてサーブ、パス、アタックと黙々と毎日同じことを繰り返します。
すぐ隣は野球部。三船先生のノックを増田先輩や亀元さん達が熱心に追います。バレーコートにもボールが飛んできます。永田先生は『ボールが当たって不具者になったら、あんた達、その子の面倒を見るのですよ!』と抗議されていたとかバレーボール部の私達はおかまいなく練習に集中・・教室の息苦しさから解放された放課後は何と楽しかったことか。私達のやりたいバレーボールを充分に満喫できました。それは沢山の方々に支えられ応援して頂いたからです。
全国大会出場をかけた平和台での決勝戦には稲築から貸切バスで駆けつけて下さった、岸校長、豊本PTA会長、田中先生、桃崎先生野見山先生、中村先生、永光先生、平田先生、東中の小出先生、大山先生等の先生方や先輩方、そして大勢の同級生、下級生です。浜松での全国大会初出場!福岡県代表「稲築高校」のプラカードを先頭に意気揚々と行進しました。
今は静かになった飯塚の街ボタ山に緑が生え、遠賀川が悠々と流れています。そこに残る伊藤伝衛門邸の座敷雛の豪華さ細やかさ美しさは、日本全国の人に生命の喜びを訴えかけてくれ

ています。「石炭産業」が世界遺産に登録されるようで、稲築、三井山野、石炭の町、そこで青春を過せた私達はとても幸せでした。

昨年稲築志耕館の和太鼓が茨城で全国大会へ出場、東京支部は貸切バスで応援に行き、差し入れに飲んで頂いたポカリの味は、53年前の私達の全国大会で片山先輩が差し入れて下さった果物の味と似てたかな。